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『日本書紀』における神代と欠史八代の構造的考察
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名無しのゴリゴリ [ID:3dfb45] [2025/8/2 16:42:36]
『日本書紀』に描かれる神代は、学問的に認識されている章立てとは別に、一般的な物語として見ると伊弉諾尊・伊弉冉尊による国生み神話から始まり、天照大神・月読命・素戔嗚尊の誕生を経て、地上世界である葦原中国の平定、そして天孫降臨へと至る一連の展開として広く理解されてきた。こうした記述は、神代から人代への連続的な歴史の流れを示し、天皇家の起源を神々にまで遡るものとする叙述構造を採っている。

しかしながら、これらの神話が元来から一貫した体系を成していたとは限らず、実際には各地に存在していた土着の伝承や王権神話が、律令国家成立以前あるいはその過程で再構成されたものである可能性が高い。『日本書紀』の記述には、土着の伝承や古王権の伝承が含まれており、それらは中央集権的な国家史の枠組みに取り込まれる形で統合されていると考えられる。

土着の伝承や古王権の伝承が中央集権的な国家史の枠組みに統合された例として特に注目するのが「天羽々矢」である。「天羽々矢」は、後世に重視される「三種の神器」とは異なり、儀礼的な神具として、統治の正当性を担ったと考えられる存在であり、日本神話の本来の姿を理解するうえで重要な鍵となる。

さらに、「出雲神話」に代表される一群の伝承は、中央とは異なる在地的支配権の正統性を主張するものであったが、それらもまた後に天照大神の子孫による支配体系の中で再解釈され、組み込まれていったと考えられる。

本稿では、神代の伊弉諾尊・伊弉冉尊による創世神話から葦原中国平定に至る神話展開は本来、欠史八代に存在していたと考えられる物語的要素が後世に神話化され、結果として神武東征以前に挿入し直されたものであり、全体の時系列が意図的に歪められているという大胆な仮説に基づき、『日本書紀』における神話的・歴史的記述の構造を再検討する。

本稿では、以下の五段階に分けて『日本書紀』における神話的・歴史的展開を整理し、構造的分析を行う。
1. 天地開闢:世界および神々の生成に関する神話
2. 天孫降臨:天上の神々の子孫による地上支配の開始
3. 神武東征:実在の王による政治的統治の始まり
4. 欠史八代の神話化(国産みから中国平定):地方王権の伝承の象徴化と系譜的挿入
5. 崇神・垂仁期以降:複合的な歴史資料による現実的な古代文献

この枠組みによれば、神代の神話と欠史八代の天皇系譜とは、本来共通する支配伝承の異なる表現形式であり、再編の過程で切り離されたのではないかという仮説が成り立つ。

本稿では、日本書紀の神話を固定的で一貫した体系としてではなく、歴史的文脈において再編・再解釈されてきた動的な伝承体系として捉える立場に立つ。特に、考古学的視点から指摘されている古墳時代の政治変動、大陸文献による卑弥呼などの女性支配者の存在、そして『日本書紀』編纂時の歴史資料との対照を手がかりとしながら、『日本書紀』の歴史的現実性を詳らかにすることを目的とする。

この構造は、8世紀の編纂段階において複数の神話伝承が融合された結果であり、神話本来の時間軸や論理構成とは異なる可能性が高い。

本来の神話的枠組みは、まず「天地開闢」によって宇宙が創られ、次に「天孫降臨」を通じて天の神が地上支配を開始し、最終的に「神武東征」によって現実の王権が確立されるという、明快な三段構成を成していたと考えられる。これは、中国の盤古神話に見られる天地創造の段階、天帝・神農などによる秩序化、さらには夏・殷・周といった王朝における人間による支配という流れや、朝鮮半島神話における檀君神話などとも共通する枠組みである。すなわち、「宇宙の創成 → 神による秩序付け → 人間世界の統治」という三層構造は、東アジア神話全体に通底する思想的パターンであり、『日本書紀』もまたその中で再構成された神話体系と見ることができるのである。